高野槇

和歌山の寂れた商店街を歩いていると、一角の花屋に目が止まった。

高野槇 産地直送」と謳う札が、店先に並んだ花々よりも鮮やかに、シャッター通りに映っていたからだ。その札の堂々とした佇まいは、高野槇について何も知らない者にも、高野槇やおそらくその産地の高野山が、この辺りの人々にとって特別な意味を持っていることを想像させるには十分だった。

力強い行書体で書かれた言葉がなぜだか印象深く、それについて調べてみると、どこにもだいたい次のようなことが書いてあった。

******

高野槇コウヤマキ): コウヤマキ科の常緑広葉樹。高野山に多く自生していることからこの名がついた。その昔、高野山では『山上禁忌』という厳格な規則があり、その中で果樹、花、漆などを植えることを禁止されたため、仏花の代わりとして用いられた。

******

かつて花さえ拒んだ高野山は、今や意外にも拓けていた。山へはケーブルカーとバスがひっきりなしに走っていたし、山上の観光バスやお土産の看板は、どこか温泉街のような風情さえあった。

裏通りに入るとコンビニエンスストアがあって、丸刈りの少年2人が自転車を停めて買い食いをしていた。この少年たちがどこかの野球部かなにかの学生なのか、あるいはお坊さんの見習いなのか、まちの栄えた雰囲気も相まって、はっきりとはわからなかった。

山の上には高野槇の凛とした雰囲気を想像していた身には、この様子にどこか温度差を感じて、なるべく静かそうな近くの宝物殿へと駆け込んだ。

そこでどのくらい展示に見入っていたのだろうか。目を離すと、隣で作務衣を着たお坊さんのような人も宝物を眺めているのに気がついた。

彼もしくは彼女はすぐに慣れた足取りで順路を先へと進みだす。そして、半ば招かれるようにして、後について行くことになった。順路は回廊へと続き、日の光が鈍く差し込む。そこで初めて、前を行く後ろ姿を見て、この人が本当のお坊さんだと確信した。

坊主頭の透けるような白さからは、1日の大半をほの暗いお堂の中で過ごしている様子がありありと想像できた。ただ、そこに虚弱な印象がなかったのは、肌の下から覗く髪の鮮やかさがあったからだろう。思わず古典で習ったみどりがみという表現を思い出すくらい、若く純真なお坊さんがいるとわかって、商店街で見かけた高野槇の札が持っていた殊勝な意味合いを実感できた気がした。

そんなことを考えながら、回廊が次の建物へと差し掛かると、お坊さんがおもむろに建物の入り口の戸を開けてこちらを振り返り、深々とお辞儀をして先に進むよう促してくれた。突然の事にどぎまぎしたが、山に来て初めて神妙な気持ちになって、同じくらい深くなるように会釈をして、足元だけを見て順路を先へと急いだ。

その後、宝物殿を出て大塔や奥の院など一通りのお参りを終える頃には、高野山の殊勝さには何の疑いもなくなっていた。

帰り道、高野山を離れ大阪へと向かう車窓の中に、小さなお寺とお地蔵さんが目に留まった。ふと僕は、さっきのお坊さんも、修行を終えて山を出たら、このお地蔵さんには高野槇ではなく花を供えるのだろうかと思った。

けれどそれは、どこか不埒な想像な気がした。

1月21日東京にて

夕方、南西の空からやって来た宇宙ステーションを見ていた。
金星をかすめ、旅客機を振り切り、圧倒的な速度で東京の空を渡る光をただ、見ていた。

 

『機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい。』

 

その迷いのない軌道になぜか、どこかで読んだスローガンめいた文章をふと思い出す。
調べると、20世紀初頭に未来派という一派が残した「速度の美」を華々しく称揚する言葉らしい。

 

だが、宇宙ステーションの光を目にしていると、未来派が自動車に見出していた美しさは、純粋な「速度」というよりもむしろ、煙を上げ咆哮する自動車のマッシヴな肉体性にあるのではないかと思われてくる。自動車の速度はあくまで、その肉体に付属するもので、だからこそ、速度の化粧のない像として、サモトラケのニケが引き合いに出されたのではないか。

 

東京から眺める宇宙ステーションには、もはや肉体と呼べる機械の気配は一切なく、ただ一粒の光があるばかりだ。
けれど、その光の粒は金星や、他のどの星とも違っていた。
音もなく、5分間で東京の空を渡り切ってみせたそれには、確かに純粋な「速度の美」があった。

Tong Poo

2年ぶりに中国の地を踏んだときには、もう夜はすっかり更けていた。上海地鉄の駅を出て夜風に当たると、風の芯にある八角の香りが中国に来た感を強くさせる。しかし、その肌合いは以前訪れた北京のそれとは少し違っていた。この違いは2年という月日を、それとも、2都市の距離を表しているのだろうか。

 

夜が明けると、再び地鉄に乗って上海の雑踏の中へ。場所は変われど、簡体字の印象と八角の香りは、中国に通底するものらしい。ビル街から市場へ、少しの移動でラディカルに変化する景色を、この2つが辛うじて連続させている。

 

f:id:idiot05:20191013222839j:plain

 

屋台の軒先から覗く高層ビルに、2年前見た王府井の景色を思い出す。

ただ、北京ではこんな綱渡りをする必要はなかった気がする。思えば、北京には赤色の調和があった。

ビルの看板、屋台の電飾、交差点に掲げられたスローガン、至るところにある大小の赤色と、それらが醸し出す空気。路地裏まで漂うそれは、新築のビルをもすぐに北京の一部へと仕立て上げる。

 

それに、北京の街は東風で満ちていた。放射路を伝ってやって来た風は、やがてぶつかり、つむじを巻く。東風の高まりは、天安門で頂点に達する。だが、天安門広場にいると、不思議と巨大な渦からは、外側から見たときのような荒々しい印象を受けることはない。むしろ、渦の内側には規律や矜恃の響きがあった。

 

北京では、格子路は東風の旋律を隅々まで響き渡らせる装置である。

 

f:id:idiot05:20191013222859j:plain

 

対して、上海には風の集まる中心もなければ、放射路や格子路といった仕掛けもない。街角の風はただどこからともなくやってきて、またどこかへ消えていってしまう。

 

こうして風に吹かれるように行き当たりばったりに進んでいると、外灘に着いた。右岸の超高層ビル群と左岸の西洋建築群、赤色を感じさせない2つの地区が向き合うここは、ある意味、最も上海らしい場所かもしれない。けれど、黄浦江が運んでくる鈍い風にあたっていると、ときに、あの東風の響きが懐かしく感じられる。

f:id:idiot05:20191013222927j:plain


20世紀の初め、この地に移り住んだ英国人は、突如出現した西洋建築に何を思ったのだろう。租界として、超然とあったこの地区では、微塵も赤色を感じることはなかったかもしれない。新古典主義アール・デコ様式のファサードが彩る街路は、一見するだけでは、欧米のどこかを切り取ってきたかのように見える。

だが、街を漂う空気や風までは、流行のファサードでも覆うことはできなかったに違いない。

彼らも通り抜ける風の肌合いに異国を感じ、そして母国で恐れていたような東風が、上海には吹いていないことに少し安堵したことだろう。

 

もっとも、それは北京にさえ東風が吹き始める前の話であるけれど。

 

f:id:idiot05:20191013222922j:plain

 

田舎の景色

白い荒地を走る列車の中、ボックスシートの片隅。僕は肘をついてぼんやりと、ただ、待っていた。

ただ待っていたって、何を?

閑散とした鈍行列車での1人旅、この車内には待たせるものも待っているものもないはずだ。
目の前には、がらんとした2人がけの椅子。ここに誰かが来るのを期待しているのかというと、そういうわけでもない。むしろ、向かいには誰もいない方がよかった。前に人がいると、足を伸ばせないし、心まで窮屈な感じがしてしまう。
では、この列車が終点に着くのを待っているのだろうか。でも、そういう気はしない。終点の街には何度か行ったことがあるし、特に代わり映えのしないところだ。なら、何を待っているのか。
もしかすると、はっきりと待っているものがわかる必要なんてどこにもないのかもしれない。待っているもの自体は、別にそこまで大事ではなくて、待っているのはいつも、驚きや新鮮味そのもの。むしろ、期待の行き先があいまいだから、待っているのか。

そんなことをでたらめに考えているうちに、車内は少し混み始めて、目の前に女子大生風の2人組が腰掛けた。

背伸びしきれていないような服装と訛りから、彼女たちがこの辺の育ちであることはすぐに察しがついた。会話の内容からして、この列車の終点まで買い物にでも行くのだろう。そこは、この地方では目立つ方の都会である。

知らない2人がやってきて、ボックスシートをでかでかと占領していた僕の気分は、シートの片隅に押し戻された。向こうも、目の前によそ者がいては話しにくいとみえて、お喋りはよしてしまった。退屈な田舎の眺め、ディーゼルカーのエンジン音。目をつむって、低徊は一旦中断。

 



―ドアは自動では開きませんので、ドアの横のボタンを押して、お開けください


 
自動放送に、まどろんでいた意識が引き戻される。どうやら、駅で特急列車の通過待ちのようだ。単線の路線では、こういうことはよくある。
ふと、前の2人を見てすこしぎょっとした。携帯や本でもなく、景色でもなく、ただ、どこか遠くをぼうっと見ている2人、視線の方向は違えど、同じ目をしているように見えた。



―ドアは自動では開きませんので、ドアの横のボタンを押して、お開けください



行き先のわからない視線を前にしていると、見られているわけではないと頭ではわかっているつもりでも、なんとなく落ち着かない。人を緊張させるのには、見られているかもと思わせるだけで十分だ。じっと座っている彼女達とは対照的に、泳ぐ僕の目。手、窓、手すり、スニーカー…




―ドアは自動では開きませんので、ドアの横のボタンを押して、お開けください

僕はこのボックスシートに居るのがたまったものではなくなって、席を立ち、ドアを開けて外に出た。
ホームには日焼けした看板がいくつかあるだけで、人の気配はまるでない。
こじんまりとした駅舎は無人駅になった以外は国鉄時代から何も変わっていないというような趣で、当時は駅員が切符を切っていたであろう改札口には、代わりにきっぷの回収箱がぽつんと立っているだけ。



ふと、待っている という言葉が頭に浮かんだ。奇妙なもので、ひとたびこんな考えを抱えてしまうと、きっぷの回収箱だけでなく、駅舎や、その向こうの赤瓦の家々、そしてもはや、この田舎全体が、待っている ように思われた。

この田舎は一体何を待っているのだろう。新しい風が吹き込むのをだろうか。それとも、かつての賑わいが、また戻ってくるのをだろうか。だが、この景色からは待ちきれない。という様子は殆ど感じられない。こうすることしかできないと諦念したかのように、じっとしている。
ときおり、廃屋のトタンが風でガタつく音だけが、もう待ちくたびれてしまったというように響いた。

トタンの音が、頭の中の風景を目の前の田舎から、小さい頃に通った内科へと移らせる。そこにあった引き戸も、よくガタガタ言った気がする。引き戸のある待合室はいつもお年寄りでいっぱいだったが、子供の目には、彼らが深刻な病気を抱えているようには見えなかった。むしろ、馴染みの人とお喋りをしたり、お菓子を交換したりして、ここに来ることを楽しんでいるようだった。待合室にいる目的が治療だけではないとすれば、ここにいるお年寄りたちは一体何を待っているのだろう。小さかった僕も、そんなことを考えたのだろうか。でも、今この景色を眺めていると、その答えがわかるような気がした。



風邪をひいてしまいそうな気がして列車の中へ戻ると、車内は再び閑散としていた。出るときには気がつかなかったが、うとうとしていた間に、だいぶ降りたようだ。だが、元々いたボックスシートはあいも変わらず、混みあったまま。通路側の1人は戻ってきた僕の姿を観て、伸ばしていた脚を引っ込めた。窮屈なら席を移ればいいのに。と思ったが、2人は一向に動く気配はない。いや、動くという考えが浮かばないのだろう。僕は彼女達の中にある、田舎の景色を垣間見た気がした。置きっ放しにしていたリュックサックを掴んで別のボックスへ移動する僕を除けば、じっとしたままの車内。早く特急列車が来て、この間を切り裂いて欲しかった。

 

 

f:id:idiot05:20190327084930j:plain



東京の印象

久しぶりに地元の友達に会うと、決まって東京で暮らすのはどんな感じかと聞かれる。

東京で暮らしていると言っても、僕の生活の大半は大学とその関係のコミュニティで行われるので、結局大学生活の感想になってしまう。そう言うとなんだかみんな面白くなさそうな顔をする。

こういう期待のずれは地元の友達が東京に遊びにきた時にもっとはっきりと感じられる。

 

たいてい、東京らしいところに連れて行ってと頼まれるのだが、これがなかなか難しい。築地に行っても、浅草に行っても、渋谷のスクランブル交差点に行っても、東京への期待が満たされることはないような気がする。

 

東京見物の終わりには、よく都庁の展望室に行く。タダで遅くまで開いているからという実用的な理由の他に、東京を文字通り展望できるここからなら、期待する東京の何かを見つけることができるのではないかという思いが、足を運ばせる。

 

 

都庁の展望室からの眺望には、何度見ても圧倒されるものがある。地上を埋め尽くすビル群。どこまでが東京都でどこからが埼玉県なのだろうか。だが、この景色の前にはこうした疑問はあまり意味をなさないように思われる。どこまでも広がる東京、注ぎすぎた水がテーブルの上を浸していくような景色。

 

遠くを見ても、東京がよけいにぼんやりしてしまうだけな気がして、今度は足元に今まで見てきた東京の姿を探す。

すこしビル群をかき分ければ、スカイツリーや代々木公園を見つけることができる。

他には?さっきまで居た築地や渋谷はどこに行ってしまったのだろう。あの辺りの雑居ビルの集まりが渋谷だろう。というようなアタリをつけることはできても、渋谷の姿を捉えることは不可能である。渋谷は得体の知れない海の中に溶け出してしまっている。

 

結局、東京を見渡すために登った都庁の展望室からでも、東京への期待を満たす景色はおろか、東京の輪郭さえ見つけ出すことはできない。

 

f:id:idiot05:20190124040009j:plain

 

その点、東京の隣の横浜などは見物人にとってありがたいまちである。横浜についてほとんど何も知らなくても、赤レンガ倉庫、中華街といった、わかりやすい観光地やベイエリアの景色は、よそ者が横浜に対して抱いている漠然としたイメージを汲み取って、期待通りの、横浜にきた実感や意味を与えてくれる。

 

だが、東京はこういうふうに意味を与えてはくれない。東京にはなんでもあるけどなんにもないという言葉を耳にしたことがあるが、うまいこと言ったものだな。と思う。ぼんやりと眺めるだけでは、東京は無機質なビルの集合にしか見えてこない。東京は、解釈(あるいは、参加)をしないことには、期待通りの濃度の意味を与えてくれないのだ。

 

f:id:idiot05:20190124040003j:plain

 

こんなことを考えていると、今自分が馴染みのない図書館にいるような感じがしてくる。読みたい本がどこにあるかすぐにはわからないし、本が全部で何冊あるかなんてことは、とてもわかりそうもない。

とりあえず、何か本を手にとってパラパラとめくってみる。それを何冊か繰り返して、気に入った本を読み始める。そうすると自分が図書館にいることはもう気にならなくなる。図書館の印象はすぐに本の印象に追いやられる。読書に夢中になっている人は、図書館について語ることはないし、蔵書をいくら読んでも、図書館そのものをわかったことにはならない。

1月第3週京都にて

中学生の時から愛読している本の1つに川端康成の古都がある。

古都の作中では祇園祭時代祭など色とりどりの京都の晴れ姿が描かれる。

中高生の僕は京都のケの中に過ごしていたからこそ、古都の輝きはこの小説の中でしか見られないことがわかって、なんどもこの本を手に取ったのだろう。

もし、古都の世界を期待して今の京都に来る人がいれば、きっと幻滅してしまうに違いない。

 

こういう思いがあって、作中で度々登場する大切な場所なのに、中川町を訪ねることはなかなか憚られた。幻の正体を暴くような気がしたからだ。

 

だから、思い切って菩提の滝の停留所でバスを降り、北山杉のまっすぐに、きれいに立ってるのを目にしたときは、その美しさにほんとに心がすうっとする思いだった。一瞬、今がいつかわからなくなりそうなほどの驚きがあった。

 

f:id:idiot05:20190118221845j:plain

 

だが、古都の世界のように、山肌に冬の花をほこる北山とは対照的に、中川のまちは作中とは大きく変わっていた。山仕事をする人の姿は無いし、北山杉の木造倉庫も、杉の白い肌よりもむしろ、ぼろぼろになった壁の方が目立っていた。もう30年は使われていないらしく、昔にしがみついたままの倉庫のあちこちを、時間が擦り切らしていた。

 

寂しいまちを歩いていると、地元の人に声をかけられた。古都を読んでここに来る人は多いが、年配の人ばかりで若い人は珍しいそうだ。歳をとると昔の美しかった頃の面影を探しに行きたくなるのだろうか。今のこのまちにそんな幻を背負わせるのは酷な話だと思った。

 

f:id:idiot05:20190118221912j:plain

 

再びバスに乗ってまちなかに戻る。中川町とは違って古都の面影はほとんどない。幻を顧みる隙のない京都の景色は、残念な気もしたが、少し頼もしい気持ちにもなった。

 

f:id:idiot05:20190118221900j:plain

 

今、こうやってもう一度中川町の写真を見返してみると、寒い中、山村を数時間うろうろしていただけなのに、なんだかとても豊かな、いい時間だったような気がしてくる。自分の気分なんて勝手なもんだなと思うし、こうして思い出や幻をもとめることも、勝手なものなのかもしれない。

 

f:id:idiot05:20190118222342j:plain