高野槇

和歌山の寂れた商店街を歩いていると、一角の花屋に目が止まった。

高野槇 産地直送」と謳う札が、店先に並んだ花々よりも鮮やかに、シャッター通りに映っていたからだ。その札の堂々とした佇まいは、高野槇について何も知らない者にも、高野槇やおそらくその産地の高野山が、この辺りの人々にとって特別な意味を持っていることを想像させるには十分だった。

力強い行書体で書かれた言葉がなぜだか印象深く、それについて調べてみると、どこにもだいたい次のようなことが書いてあった。

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高野槇コウヤマキ): コウヤマキ科の常緑広葉樹。高野山に多く自生していることからこの名がついた。その昔、高野山では『山上禁忌』という厳格な規則があり、その中で果樹、花、漆などを植えることを禁止されたため、仏花の代わりとして用いられた。

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かつて花さえ拒んだ高野山は、今や意外にも拓けていた。山へはケーブルカーとバスがひっきりなしに走っていたし、山上の観光バスやお土産の看板は、どこか温泉街のような風情さえあった。

裏通りに入るとコンビニエンスストアがあって、丸刈りの少年2人が自転車を停めて買い食いをしていた。この少年たちがどこかの野球部かなにかの学生なのか、あるいはお坊さんの見習いなのか、まちの栄えた雰囲気も相まって、はっきりとはわからなかった。

山の上には高野槇の凛とした雰囲気を想像していた身には、この様子にどこか温度差を感じて、なるべく静かそうな近くの宝物殿へと駆け込んだ。

そこでどのくらい展示に見入っていたのだろうか。目を離すと、隣で作務衣を着たお坊さんのような人も宝物を眺めているのに気がついた。

彼もしくは彼女はすぐに慣れた足取りで順路を先へと進みだす。そして、半ば招かれるようにして、後について行くことになった。順路は回廊へと続き、日の光が鈍く差し込む。そこで初めて、前を行く後ろ姿を見て、この人が本当のお坊さんだと確信した。

坊主頭の透けるような白さからは、1日の大半をほの暗いお堂の中で過ごしている様子がありありと想像できた。ただ、そこに虚弱な印象がなかったのは、肌の下から覗く髪の鮮やかさがあったからだろう。思わず古典で習ったみどりがみという表現を思い出すくらい、若く純真なお坊さんがいるとわかって、商店街で見かけた高野槇の札が持っていた殊勝な意味合いを実感できた気がした。

そんなことを考えながら、回廊が次の建物へと差し掛かると、お坊さんがおもむろに建物の入り口の戸を開けてこちらを振り返り、深々とお辞儀をして先に進むよう促してくれた。突然の事にどぎまぎしたが、山に来て初めて神妙な気持ちになって、同じくらい深くなるように会釈をして、足元だけを見て順路を先へと急いだ。

その後、宝物殿を出て大塔や奥の院など一通りのお参りを終える頃には、高野山の殊勝さには何の疑いもなくなっていた。

帰り道、高野山を離れ大阪へと向かう車窓の中に、小さなお寺とお地蔵さんが目に留まった。ふと僕は、さっきのお坊さんも、修行を終えて山を出たら、このお地蔵さんには高野槇ではなく花を供えるのだろうかと思った。

けれどそれは、どこか不埒な想像な気がした。